日本だけが信じる数学証明の奇妙な物語

数学界を二分した500ページの謎

京都大学の望月新一教授が2012年に発表した「宇宙際タイヒミュラー理論(IUT)」は、数学界に激震を走らせた。500ページに及ぶこの論文は、数とその関係性を新しい数学的「宇宙」に転送し、従来の概念を拡張・変形する革新的なアプローチだった。まるでサイバーパンク世界で数学的オブジェクトを分解・再構築するような手法は、同僚数学者から「宇宙からの論文」と評されるほど異質だった。

ABC予想という聖杯

この理論の真価は、40年来の難問「ABC予想」の解決を謳った点にある。a + b = cという単純な式から始まるこの予想は、素因数の積がcよりも大きくなる傾向を示す。例えば12 + 21 = 33の場合、素因数2×3×7×11=462となり33を上回る。この予想が証明されれば、フェルマーの最終定理を含む多くの数学的成果が導かれる。

理解者12人の孤立

問題は、この証明を理解できる数学者が極めて少ないことだった。2017年時点で真に理解しているとされるのは、望月教授の下で数ヶ月以上の研修を受けた12人程度。彼は国際会議への出席を拒み、海外の数学者との対話をほぼ断った。この閉鎖的な姿勢が、理論の検証をさらに困難にした。

ドイツ人数学者たちの反撃

2018年、ボン大学のピーター・ショルツェ教授とフランクフルト大学のヤコブ・スティックス教授が「致命的な欠陥」を指摘。証明の核心部分「系3.12」に論理の飛躍があると主張した。しかし2020年、望月教授は編集長を務める学術誌に自身の論文を掲載。100万ドルの賞金をかけて反論者を挑発するなど、対立はエスカレートした。

新たな挑戦者と泥沼化

アリゾナ大学のキルティ・ジョシ教授が2023年、双方の誤りを指摘する「最終報告書」を発表。しかし望月教授はこれを「深い無知の産物」と酷評し、議論は感情的な泥仕合に。数学の純粋性が失われつつある今、コンピュータによる証明検証が唯一の解決策かもしれない。だが、この異次元の理論を機械が解読する日は、まだ遠いようだ。

この物語が示すもの

科学の進歩は時に孤独な天才と集団的検証の衝突を生む。ネオ東京の摩天楼のように聳え立つこの数学理論は、その壮大さゆえに誰も登頂できていない。真理は日本にしか存在しないのか、それとも幻影なのか―この謎は、数学界最大のアキレスの懸案として今も燻り続けている。